面白い!これぞ本当の日本史。竹村公太郎さんあっぱれ。
竹村公太郎さん(元国土交通官僚)の話を聞きましたが、これが異常に面白い話で、私は心の底から感動をいたしました。
それにしても… 教科書に載っている日本史は、肝心なところがゴソっと抜けているんですね。
竹村先生は歴史家ではなく、国土交通省でたくさんダムをつくってきた人で、日本の地形に詳しいことから、地形の分析から独特の歴史観を展開しておられます。
話は藤原京とか平城京の頃にさかのぼります。
この頃の日本の都は奈良にありました。奈良盆地。
大和朝廷ですね。
当時の日本のエネルギーは、すべて木材でした。
煮炊きをするのも家をつくるのも、何から何まですべて木が頼り。
だから、選ばれて、都がおかれたのが奈良盆地だったのです。
要するに奈良盆地は、周りを豊かな山に囲まれていたために、エネルギーが取り放題だったわけです。
しかし後に、日本の都は奈良から京都(平安京)に遷都されていきます。
この、奈良から京都に移った理由というのが、実に面白かったのです。
歴史の教科書には書いてありません。
日本の古事記などの古書にも書いてないそうです。
その理由は、木(エネルギー)がなくなってしまったからだそうです。
奈良盆地には、当時10万人の人が住んでいました。
人がひとり1年間生活するのに、どれくらいの「木」を必要としていたかというと10本だそうです。
ひとりの人間が平均10本の木を消費していた。
そして奈良盆地には10万人の人がいた。
奈良盆地の周りの山々から、1年間に消える木の本数は?
10本×10万人=100万本 です。
1年に100万本の木が失われていったとなると、これはもう、いくら植林をしても追いつかないわけですね。
当時の奈良の山々は丸裸だったそうです。
だから京都に行ったのです。
これが理由だった。
で、時は流れて戦国時代。
NHK大河ドラマ:真田丸の世界です。
豊臣秀吉が天下をとっていた当時、徳川家康は一度、左遷されて関東へ追いやられました。
当時の日本では、大阪や京都に権力の中枢があって、江戸などはただの「ド田舎」だったそうです。
竹村先生は「文明の果て」という言葉まで使っておられました。
で、その10年後に関ケ原の合戦があって、徳川が権力を持つに至りました。
となると、関東に左遷されていた徳川が、大阪や京都に戻ってくるのが普通です。
あるいは家康の故郷の三河でもよかったはずです。
しかし徳川は、ド田舎の江戸に幕府を開いたわけです。
なぜか!
やはり当時、関西方面の山々は丸裸だったそうです。
木がなくなってしまったので、四国や遠くは九州、北陸からも木を運んでいたとか…
木の豊富な関東に飛ばされて、その恩恵にあずかっていた徳川は、
木の生えていない関西に戻ることはなかったということです。
これらの都の変遷は、全て「木(エネルギー)」が原因だったというのです。
教科書に、そんなこと書いてありましたか?
しかし江戸時代に入り、関東方面の木もなくなっていきました。
なんと日本全体から木がなくなっていったというのです。
それはもう深刻で、エネルギーがないことで滅亡してしまうリスクまであったというのですから驚きです。
しかし日本という国には神風が吹くんですね。
神の国です。
海外からペリーが蒸気船でやってきたわけです。
なんというラッキーな…。
日本人は初めて「化石燃料」の存在を知ったわけです。
そしてさらに、日本列島のそこかしこに、石炭が眠っていることもわかってきたというのですから、まさにこれはミラクルでした。
そこから日本の発展が始まったわけですね。
日本は強い国になりました。
要するに、エネルギーというものがいかに重要なファクターであるか、こういう切り口で歴史を見るとよくわかりますね。
かくして昭和の歴史は、エネルギーの奪い合いの戦争の歴史となったのでした。