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石原慎太郎が存在した意味

過日、石原慎太郎氏がお亡くなりになりました。

私にとっては、心のどこかでいつも尊敬の念をいただいていた人物でした。

現代において「国士」と呼ぶに値する政治家がほとんどいない中、石原慎太郎氏はその名にふさわしい方だと思っています。
(高市早苗氏もそう呼んで差支えないはずです)

国士とは…

  1. 自分の事は省みずもっぱら国の事を心配する人物。憂国の士。
  2. 国中で最もすぐれた人物。

ググるとこう書かれています。

戦後、日本は方々から非難中傷され、いじめ抜かれ、心身ともに骨抜きにされてきました。
戦後は米国(GHQ)に、昨今ではなんと中国にまで隷属するようになっていますが、
その隷属の「証」が、戦後すぐに日本に押し付けられた(わずか1週間で書きなぐられた)「日本国憲法」です。

日本が自立を取り戻すためには、この「憲法改正」がまずもって重要。
その憲法改正を、…さらには「改正」ではなく「自主憲法の策定」に人生の全てを注いで来られたのが、石原慎太郎氏でした。

石原氏のことを「右翼」だとか「極右」だとか烙印を押す連中も多かったですが、石原氏は純粋に、失われてしまった日本の「国体」を取り戻そうとしていただけだと思います。

日本を骨抜きにし、共産化したい連中は、この訃報をこう報道しています。

★中国、石原慎太郎さん死去を速報 「右翼の政治屋」と紹介
https://news.yahoo.co.jp/articles/03cd534658b5204cc5ab57e839a2326ef8e48a66

日本が敗戦した時は「無条件降伏」をさせられました。

無条件降伏だったがために、「憲法」も押し付けられ、「教育」も一新・共産化させられ、「国軍」も形骸化されてしまいました。

しかし、同じく敗戦したドイツは、上記の3つを死守した上で降伏したのです。

ドイツの「降伏するための条件」は以下の3つでした。

  1. 憲法はドイツ人の手によって作る。
  2. 戦後の子弟の教育方針はドイツ人自身が決める。
  3. 国軍を残す。

これが守られなければ破滅するまで戦い抜くと宣言し、ついには連合国側を譲歩させたのです。

ここがダメだったですね・・・日本は。

私の発想もいくらか「保守的・右翼的」に見えるかもしれません。
しかし、右・左ではないんですよ。

我々の愛すべき「国」を守りたいかどうかなんです。
日本人がもっとも日本人らしく、平和に、清潔に、文化を慈しみ、武士道精神をもって正々堂々と生きたのは、260年も続いた「江戸時代」でした。

明治維新を経て日本は戦争ばかりするようになりました。
2次大戦で「奴隷化」が確定するまで、何度も何度も大きな戦争を繰り返した(させられた)のは、やはり、明治維新の前から日本が侵略されていたためです。

江戸時代の平和は「鎖国」によって守られていました。
1853年に鎖国が解かれて、その14年後に江戸時代は終了したのです。

そして今や、我が日本の支配権は、米国から中国へ移ろうとしているのかもしれません。

岸田媚中政権をなんとかせねば!

そんな腐りかけた日本を救える救世主がいるとしたら、やはりそれは高市早苗だと思っています。
高市政権が待たれます。

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